パインファニチャー
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生涯、この地で暮らそうと決めていた私達でしたが、風太の寂しそうな様子を見ていると、子供の多い所に引っ越したほうがよいのではと、考えるようになっていました。風太の入園を機に約十年間を過ごした面河村から、三人と猫一匹で、松山へ帰ることにしたのです。幸いにも父母や兄も賛成してくれたので、子供の頃からの夢だった桃畑に、住居と工房とショールームを一棟で建築する事にしました。夫の友人で腕のいい大工の篠崎さんが、棟上げまでの作業を請け負ってくれることになりました。家の外装ができたところで入居をし、住みながらの家作りの始まりです。面河に移って、台所や浴室を一つ一つ作って生活し始めたように、十年後、松山で同じように新しい生活をスタートさせたのです。建坪が一○七坪という広さですから、夫一人で内装工事をするのは並大抵ではありません。建て始めて三年経った今でも、まだ完成していませんが、夫の手作りの家に住むという最高の贅沢をさせてもらっているので、少しも苦になりません。風太も友達を連れて来ては、「僕の家は、お父さんが建てたんだよ」といって自慢しています。新しいショールームに十七世紀のイギリスのクレードル(ゆりかご)があります。これをいつも見て、長く使える道具はどうあるべきか考えなさいと、京都の中川氏が貸して下さったものです。どこの何という人が作ったものか分からないけれど、三○○年経った今も、道具としての機能を果たしています。それを見ていると、夫の家具作りは正しいと思えてくるのです。使い捨ての家具には反対です。木は生きてきた年月分、使用に耐えられると言われています。三○○年の木なら、三○○年使える家具を作りたい。親から子へ、子から孫へ伝えてゆく家具作りを目指し、夫の仕事のパートナーとして、これからも手伝ってゆきたいと思っています。面河を出て三年経った今でも、目を閉じると様々な出来事が甦ります。チェンバロやバージナルのサロンコンサートでは、木造校舎に美しい音色が響き渡りました。ユリねえさんやマーねえさんに教えてもらった初めての野菜作りでは、育てることの喜びを教わりました。面河で過ごした約十年間は家族全員の宝物です。こうした宝物の入った思い出の小箱を時々開けて、楽しみたいと思います。今年もまた春になれば、持ち帰った山桜が優しい花を咲かせ、山の人たちの笑顔や、面河の風を運んでくれるでしょう。面河はいつの間にか、私の心のふるさとになっていました。面河の事を記録に残しておきたいと思っていた矢先に、よい機会をいただき、面河の十年間を整理することができました。一年間ありがとうございました。  平成十年三月
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ピーポーピーポー、救急車のサイレンが山間にこだまして、だんだん所藪に近づき、その音がぴたりと止まりました。びっくりした私たちは学校の坂を下り、一目散に走ります。行って見ると、勝海さんが倒れたというのです。勝海さんの家は、村道から200メートル入った杉林の中にあり、車は入って行けません。その日は30センチ以上の雪で、足元を確かめながら、富夫さん、明おいさん、救急隊員の方と夫が、意識のなくなった勝海さんを担架に乗せて運び出したのです。結局、一週間後、勝海さんは帰らぬ人となりました。脳腫瘍だったそうです。人一倍元気で、よく働いて、私たちの面倒もよく見てくれた勝海さん。ほんの少し前まで元気でいたのに、一瞬にして夫を失ってしまったユリねえさんの気持ちを思うと、気の毒で言葉もありませんでした。その後のユリねえさんは、立派でした。六人いる息子達の世話にはならず、土方仕事をしながら、一人で山の暮らしを続ける道を選んだのです。私がユリねえさんの立場なら、とても出来ません。勝海さんの亡くなった後、私たちのことを子供のように可愛がってくれていたマーねえさんが脳梗塞で右半身不随になり、夫の明おいさんも同じ脳梗塞で亡くなってしまいました。春子さん親子は松山へ引越して行き、所藪の燈が一つ、また一つと消えていったのです。今も野地の畑へ行けば、元気なマーねえさんと明おいさんがいて、「伸ねえ、ビールでも飲めよ」と言ってくれるような、そんな気がしてなりません。少しづつ、所藪の暮らしに不安を感じ始めていました。もうひとつの不安は、子育てのことでした。周りにはお年寄りばかりで、風太が一緒に遊べる子供は、一人もいません。二ヶ月に一度くらい「のびのび教室」と題して、面河村の保健婦さんたちが、いろいろなことをして遊ばせてくれます。その時が、村内の子供達と接する唯一の機会でした。子育てのことについて、あれこれ相談にのってくれたのは、友人で松山に住む乗松香子さんでした。風太は、乗松家の圭君と名津ちゃんが遊びに来てくれるのをとても楽しみにしていました。ある夏の日の出来事です。圭君が運動場で網と虫籠を持って、楽しそうに虫採りをしています。それを見て風太は、「僕にも網と虫籠を買って」と言ったのです。それまで、虫は蛇や蜂のように、自分を攻撃して来る恐いものと嫌っていたのが、圭君の様子を見て、虫採りは楽しいものだと学んだのです。子供同士で学び合うことの大事さ、友達の大切さを痛感した出来事でした。圭君たちが帰った後、風太が夫のいる仕事場へ行き「僕、いつも一人ぼっちでつまんない」と言ったのです。風太も三歳、友達を求める年齢になっていました。
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面河に住んで最初の冬は、しんしんと雪が降り積もり、気がつくと六十センチにもなっていました。こんなに沢山の雪を見るのは、生まれて初めてです。嬉しくて、早速、そり遊びです。百メートルほどの坂を一気に下るので、スリル満点です。そり遊びは、その後ずっと冬の楽しみになりました。しかし、遊んでばかりもいられません。道路まで車を出すために、運動場の雪掻きをしなければならないのです。雪はとても重くて、腕は痛くなるわ、長靴に雪は入るわ、夫と二人だけの厳しい作業でした。この頃は、仕事用のトラックしか持っておらず、雪道には苦労しました。雪の日の納品で、夜遅くなった時のことです。上り坂の途中で車が動けなくなり、スコップで雪を掻いたり、タイヤの下に板を敷いてみましたが、全く動きません。こうなったら、最後の手段。私が重しになって、荷台にしがみつく羽目になってしまいました。その後、雪に備えてジープを買ったのですが、またもや恐ろしいめに遭いました。風太を乗せ、買出しに私が運転していた時のことです。車一台がやっと通れる山道で、大型トラックに出会ってしまいました。私がバックしなくてはならなくなり、離合できるところまで下がろうと思うのですが、左はガードレールがなく、下は谷です。雪のため、どこまでが道なのか定かではありません。その時、「お母さん、がんばれ」と、一歳の風太に励まされ、無事に離合することができました。雪については、忘れられないことがまだあります。それは、一月二日のことでした。水仕事をしていると、突然、、水が止まってしまいました。校舎の裏山にある水槽を調べてみると、水は送られてきていません。取水口に何か詰まったのかと、水源地へ行ってみても、異常はありませんでした。これまでも、水の止まったことは何度もあったのですが、水源地の取水口に木の葉などが詰まっていることが多く、ごみを取り除いてやると、すぐ水は流れ始めました。しかし、今回はいつもと違って厄介な様子です。水源地から三キロ離れた水槽まで引いているパイプが、途中で詰まっていることしか考えられません。パイプの通っている位置が分かれば、まだよかったのですが、図面など無いと言うのです。記憶を頼って何度も掘ってみるしかありません。そうして、正月も二日から、雪の中での土方作業を四日間も続けたのです。その間、水が出ないので、谷川へお米をとぎに行ったり、何度も水を汲みに言ったりと、たいへんでした。四日目に詰まっている箇所を発見し、十メートルほどパイプをつなぎかえて、やっと、水が出るようになりました。この時ほど、家の中にいて水が出ることのありがたさを、しみじみ感じたことはありませんでした。
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面河では十月も中旬くらいになると、もう朝晩はぐんと冷え込み、薪ストーブが大活躍します。この薪ストーブは、夫が演奏活動をしていたころ愛用していたアルトサックスを売って、やっと買ったアメリカ製のものです。私たちの住む木造校舎は隙間風がひどく、窓に目張りをしなければ雪が吹き込むほどです。その上、リビングとダイニングにしている教室は三十二畳もあり、一日のほとんどをストーブのあるこの部屋で過ごすので、光熱費と暖かさを考えると、薪ストーブ以外は考えられませんでした。それに、山暮らしイコール薪ストーブと思えるほど、一番の楽しみにしていたからです。十月から翌年五月までの八ヶ月間もストーブを焚くとなると、薪の量も半端ではありません。少しなら、家具作りで出る端材があるのですが、工房も薪ストーブを使っていますから、まるで足りません。隣町の人が、自分で伐り出すなら雑木をくれるというので、一度伐り出したことがあるのですが、小さな木でもどちらへ倒れるか予測がつかず、とても恐ろしい思いをしました。おまけに急斜面で、しかも下には他の人の杉林があり、道まで出すのは至難の業でした。前組地区の山持ちで、面河に来た時からお世話になっている石川さんに相談してみました。チップに出す木の中から、薪用に十トンほど分けてもらえることになりました。十トンあれば、二、三年は安心です。木は楢を中心に広葉樹を選びました。広葉樹は杉、松などの針葉樹に比べ割りやすく、火持ちもよく、煤も少ないので薪ストーブには最適です。持って帰った木は、チェーンソーで四十センチに切り揃え、まさかりで割っていきます。夫は薪割りはメディテーションだとか言って、喜々として割っています。私もやってみましたが、薪がパーンと音を立てて真っ二つに割れるのは、とても気持ちがよくて、すかっとした気分になるのです。そして、割った薪を軒先に倒れないように積み上げてゆきます。
三ヶ月ほど乾燥させると、やっと薪ストーブに使えます。この薪ストーブが、一番私たちを楽しませてくれる時がやってきました。それはクリスマス。まず、森に入り樅の木を伐ってきて、クリスマスツリーにすることから始まります。ツリーを立てたら、木の人形や赤いリボンで飾りつけをして出来上がり。イブの日は、必ずと言っていいほど雪が積もり、外は銀世界。外灯をつけると、降ってくる雪がぼわあっと浮かび上がり、とても幻想的です。まさに、ホワイトクリスマス。そして、室内をろうそくと薪ストーブの炎だけにすると、なぜか心が落ち着いてくるのです。こうして、これから訪れる本格的な寒さを少しずつ意識しながら、冬本番を迎えることになります。
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稲刈りが終わると、十月、十一月は面河が一番華やぐ季節です。所藪の周りの小楢やモミジの林も日ごとに色が深くなっていきます。わが家の前は小楢の林なので、家に居ながら、その紅葉を楽しむことができるのです。面河に住んで初めて知った遊びは、茸狩りです。散歩の途中で出会うたくさんの茸たち、とてもおいしそうなのですが、間違って毒茸を食べてしまってはたいへんなので、採ることもできません。茸のことをよく知りたいと思い、探求心の強い夫は、分厚い茸図鑑や茸料理の本など四冊ほど買いこんできました。日本には四千種類もの茸があり、名前がついていて、食用か食用でないか分かっているもので一千種類、その内二百種類程が食用とされているそうです。茸のことを地元の人に尋ねてみました。{あしたか}と言われている楢茸、{いもぐら}と言われている千本シメジがあると教えてくれました。茸のことを知るようになり、親子三人でよく茸狩りに出掛けました。とても楽しくて、ついつい時間を忘れてしまいます。たくさんの茸を採って帰るのですが、最初の内は、本と同じらしきものを見つけても、はっきり同定することができません。まず、それに似た毒茸がなければ安心なのですが、念のため、夫が毒味をします。半日たって異常がなければ、私と風太が食べることにしました。所藪の道端には、畑シメジがありました。食べると歯応えがあり、なかなかの味です。近くの小楢の林では、マツタケと並び称され、香りマツタケ味シメジと言われるホンシメジも見つけることができました。この林にはセンボンシメジ、ヌメリイグチ、アミタケ、クリタケなどもありました。茸が生えるのは、広葉樹林ばかりではありません。スギヒラタケの群生地は、暗い杉林の中に突然、真っ白なお花畑が現れたようで、とても神秘的です。友人が来ると、沢山採れた茸を使って外で木蓋鍋いっぱいに茸汁を作り、紅葉を眺めながら食べるのが、秋の楽しみです。明おいさんが香茸もあると教えてくれて山の中を捜すことにしました。香茸は東北地方では珍重され特別なときに使われるという茸だそうです。そんな珍しい茸ならと、一生懸命探し回って、群生場所を発見した時の興奮は忘れられません。リュックに一杯採れて、喜び勇んで帰り、本に載っていた香茸と生クリームのパスタを作ってみました。本によると、この茸の香りを嫌いな日本人はいないと書いてありましたが良い香りとは思えません。味も好きではありませんでした。茸の味も、地方により差があるようです。でも、おいしくて楽しい茸狩り、また一つ、山の楽しみが加わりました。