パインファニチャー
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ピーポーピーポー、救急車のサイレンが山間にこだまして、だんだん所藪に近づき、その音がぴたりと止まりました。びっくりした私たちは学校の坂を下り、一目散に走ります。行って見ると、勝海さんが倒れたというのです。勝海さんの家は、村道から200メートル入った杉林の中にあり、車は入って行けません。その日は30センチ以上の雪で、足元を確かめながら、富夫さん、明おいさん、救急隊員の方と夫が、意識のなくなった勝海さんを担架に乗せて運び出したのです。結局、一週間後、勝海さんは帰らぬ人となりました。脳腫瘍だったそうです。人一倍元気で、よく働いて、私たちの面倒もよく見てくれた勝海さん。ほんの少し前まで元気でいたのに、一瞬にして夫を失ってしまったユリねえさんの気持ちを思うと、気の毒で言葉もありませんでした。その後のユリねえさんは、立派でした。六人いる息子達の世話にはならず、土方仕事をしながら、一人で山の暮らしを続ける道を選んだのです。私がユリねえさんの立場なら、とても出来ません。勝海さんの亡くなった後、私たちのことを子供のように可愛がってくれていたマーねえさんが脳梗塞で右半身不随になり、夫の明おいさんも同じ脳梗塞で亡くなってしまいました。春子さん親子は松山へ引越して行き、所藪の燈が一つ、また一つと消えていったのです。今も野地の畑へ行けば、元気なマーねえさんと明おいさんがいて、「伸ねえ、ビールでも飲めよ」と言ってくれるような、そんな気がしてなりません。少しづつ、所藪の暮らしに不安を感じ始めていました。もうひとつの不安は、子育てのことでした。周りにはお年寄りばかりで、風太が一緒に遊べる子供は、一人もいません。二ヶ月に一度くらい「のびのび教室」と題して、面河村の保健婦さんたちが、いろいろなことをして遊ばせてくれます。その時が、村内の子供達と接する唯一の機会でした。子育てのことについて、あれこれ相談にのってくれたのは、友人で松山に住む乗松香子さんでした。風太は、乗松家の圭君と名津ちゃんが遊びに来てくれるのをとても楽しみにしていました。ある夏の日の出来事です。圭君が運動場で網と虫籠を持って、楽しそうに虫採りをしています。それを見て風太は、「僕にも網と虫籠を買って」と言ったのです。それまで、虫は蛇や蜂のように、自分を攻撃して来る恐いものと嫌っていたのが、圭君の様子を見て、虫採りは楽しいものだと学んだのです。子供同士で学び合うことの大事さ、友達の大切さを痛感した出来事でした。圭君たちが帰った後、風太が夫のいる仕事場へ行き「僕、いつも一人ぼっちでつまんない」と言ったのです。風太も三歳、友達を求める年齢になっていました。